50歳の経営者として、年収や肩書きで自分を測ってきた私が、2026年3月のインド2週間で初めて「別の豊かさの基準がある」と感じた3場面を正直に書きます。
✅ この記事でわかること
- 駐在員から聞いた、カーストと「ペンを拾う担当」の話
- 空港トイレで出会った、ペーパータオルを配る女性の誇り
- 瞑想宿泊施設で出会った、20年超滞在の日本人
- 「僕のビジネス15年 vs 瞑想修行20年」が教えてくれた豊かさの基準
- 別の価値基準に出会ったとき、自分の中で何を確認すればよいか
📊 旅で出会った3つの場面(2026年3月・2週間)
- 出会った3つの場面:カースト/空港トイレ/瞑想宿泊施設
- 瞑想宿泊施設の規模:職員+宿泊者で数百名(日本人職員数名・最長滞在20年超)
- 自分の経営者経歴:15年(瞑想修行20年と並べた比較表で可視化)
- 判断軸の変化方向:収益より心身の状態を先に確認する順番へ(シフトの最中・到達ではない)
- 気づきの性質:「どちらが優れているか」ではなく「別の基準を知った」
- 帰国後の状態:価値観が変わる途中・効率を追う自分も顔を出す
日本の価値観では測れなかった「カースト」
正直に言うと、インドへ出発する前、私の中に「カースト=差別問題」という理解があるだけで、それ以上ではありませんでした。現地に入って初めて、その構造が日常のどこに入り込んでいるかを、少し見せてもらった気がします。
現地駐在の日本人の方に、カーストについて教えてもらいました。憲法では差別が禁止されているものの、結婚や日常の社会規範として根強く残り、その方の話では、経済格差との関連も指摘されているとのことでした。全員がそうとは限らず、地域や世代によっても受け止め方は違うようでした。その方が言うには、現地で人材を採用するときには、カーストは避けて通れないテーマなのだそうです。私の経営者目線で考えると、日本の人事感覚とはずいぶん違う構造が動いていました。
印象に残ったのが「ペンを拾う担当」の話です。オフィスでペンを落としたとき、日本なら自分でかがんで拾います。ところが私が話を聞いた職場では、ペンを拾う担当の方がいて、自分で拾ってはいけないのだそうです。理由は「自分で拾うと、その人の仕事を奪うことになるから」。役割を尊重することが、別の価値基準として根付いているようでした。正直に言うと、最初は理解が追いつきませんでした。けれど、これは「効率」とは別の評価軸で動いている社会なのだと感じました。良し悪しを決めつける前に、まず別の前提があると知る——その入り口に立った気がしました。
ペンを拾う担当の話で気づいたこと
自分で拾うと、その人の仕事を奪うことになる。現地駐在の日本人の方は、当たり前のようにそう言いました。その一言で、私の中の「効率を上げる=善」という前提が、自分でも意識していなかった層から揺らぎました。私はずっと、仕事の最短化を「無条件の善」として動いてきました。ところが「役割を尊重する=善」という別の物差しを聞いた瞬間、効率は「ひとつの尺度に過ぎなかった」と気づかされたのです。自分が信じてきた判断基準の外側は、人のひと言を介して初めて見える。それを実感した瞬間でした。
振り返ると、私は「物差しの外側を教えてもらうこと」に免疫がなかったのだと思います。経営者として15年動いてきた中で、どこかで「知っている構造の中で最適化する」ことに慣れすぎていたのかもしれない。その感覚が、ひとつの言葉で静かに揺さぶられた場面でした。
空港トイレで出会った、ペーパータオルを配る女性
もう一つ、強く残っているシーンがあります。空港のトイレで、ペーパータオルを一枚ずつ配ってくれる年配の女性に出会いました。手を洗い終えた人に、にっこり笑って一枚ずつ手渡してくれる役割でした。
自分を観察すると、もし自分が同じ仕事を任されたら、たぶんふてくされ顔でやると思います。「もっと別のことができるはずなのに」と頭の中で言い訳しながら、機械的に手を動かす自分が想像できました。
ところが、その女性の表情はまったく違いました。目が合うと自然な笑顔で、こちらが恐縮するくらい丁寧に手渡してくれました。私が出会ったその一人について言えることではありますが、その仕事に誇りを持っているように感じました。一方的な印象かもしれません。それでも、あの笑顔は私の中にずっと残っています。
「ふてくされ顔」を想像した理由
あの女性の笑顔の前に立って、私が真っ先に想像したのは「同じ仕事をする自分のふてくされ顔」でした。その即座の想像が、後から軽く動揺の元になりました。私は普段「仕事に誇りを持つ」という言葉を、どこか表向きのものとして軽く扱ってきたのかもしれません。ところが、目の前の女性は誇りを「表情」として体現していて、私は同じ仕事を任されたら、そこまで立てないと認めるしかなかった。自分が口にしてきた「誇りを持って働く」が、言葉のレベルで止まっていた——そのことに気づかされた瞬間でした。
「仕事の格ではなく、向き合い方で表情が変わる」という感覚は、言葉にすれば当たり前のことかもしれない。でも、現場で見せてもらわないと入ってこないものがある。インドで気づいた、自分の変化の一つです。
瞑想宿泊施設で出会った、20年超滞在の日本人

旅の後半、私は瞑想宿泊施設に滞在しました。職員と宿泊者を合わせて数百名ほどの方々が共に暮らしている、大きな施設です。その職員の中に、数名の日本人がいらっしゃいました。話を伺うと、長い方は滞在歴が20年を超えていました。
最初に聞いたとき、正直に言うと、私の価値観からすると驚きでしかありませんでした。50歳まで数字を追いかける生き方をしてきた身からすると、瞑想修行の場所に20年というのは、すぐには飲み込めない時間の使い方でした。けれど、その方々の表情はとても優しく、幸せそうに見えました。少なくとも、私が短い期間お会いした範囲では、そう感じました。「人生の時間をどう使うか」と「そこから感じる豊かさ」は、こんなに振れ幅があるのだと、強く突きつけられました。
20年と聞いた瞬間、私の中では「自分の15年は間違っていなかったと言いたい」という気持ちと、「あの優しい表情にたどり着く生き方も試してみたい」という気持ちが同時に来ました。自分の選択を守りたい自分と、別の選択肢を尊重したい自分。その揺れがあったからこそ、「どちらが優れているか」ではなく「両方ある」と受け取れたのだと思います。
経営者仲間6名と語り合ったこと
この旅には、私を含めてメンターのクライアント6名で参加していました。瞑想宿泊施設での夜、20年超滞在の方の話を共有すると、仲間の一人が静かにこう言いました。「15年ビジネスやって、どっちが豊かかって聞かれたら、今は答えられないな」。誰もすぐに答えなかった。その沈黙が、答えの輪郭になっている気がしました。私も同じでした。長年「自分の選択は正しかった」と確信して動いてきたのに、その確信がどこかで揺れ始めていた。一人の旅だったら、おそらくこの問いを誰かと共有せずに過ごしていたと思います。似た立場の仲間がいたから、問いが言葉になりました。
僕のビジネス15年と、瞑想修行20年
⚠️ 注意
ここで言いたいのは「どちらが優れているか」ではありません。時間の長さや使い方が違っても、感じる豊かさはそれぞれにある——という別の価値基準が存在することを知った、それ自体が私にとって大きな意味のある気づきでした。
滞在中、ふと立ち止まって考えました。僕がビジネスに費やしてきた15年と、あの方が瞑想修行に費やしてきた20年。同じくらいの年月をかけていても、使い方も、積み上がるものも、まったく違います。
| 項目 | 僕のビジネス15年 | 瞑想修行20年 |
|---|---|---|
| 時間の使い方 | 数字を追う・先を読む・結果を出す | 自分を観察する・委ねる |
| 積み上がるもの | 数字(年収・資産・肩書き) | 表情・在り方・心の平穏 |
| 心の状態 | 常にストレスを抱えがち | 優しく幸せそう(私が会った方の場合) |
そういう価値基準があることを知ったこと自体が、自分にとってとても大きな意味のある気づきでした。時間という容れ物に、何を入れるかで、感じる豊かさはまったく違うものになる。その事実を、頭ではなく現場で受け取れたのが大きかったです。
振り返って——豊かさの基準は一つじゃない
帰国してから、自分の判断軸が少しずつシフトしている実感があります。以前は「お金が回るかどうか」で案件を見ていました。今は「自分のメンタルが保てるか」を、もう一段手前で確認するようになりました。この方向性は前から頭にはありましたが、インドで見た3つの場面を通じて、解像度が一段上がった気がします。
とはいえ、私自身まだ途中です。完全に価値観が入れ替わったわけではありません。日本の日常に戻れば、効率や数字を追う自分も顔を出します。それでも「別の価値基準があると知っている自分」と「知らなかった自分」では、選び方の幅がまったく違ってきました。やるべきことをやったら、あとは結果に委ねる——その構えを、少しずつ身につけているところです。
別の価値基準に出会ったとき——心の準備チェックリスト
旅を通じて思ったのは、「別の物差し」に出会うとき、受け取れるかどうかには準備が必要だということです。インドでの3場面を振り返ると、私が受け取れた理由には、いくつか共通するものがありました。同じような体験を深めたい方のために、私が気づいたことをまとめておきます。
✅ 別の価値基準に出会うときの心の準備チェックリスト
- ☐ 「どちらが正しいか」を先に決めようとしない(最初は「別の前提がある」と受け取るだけでいい)
- ☐ 自分の物差しが「唯一の正解」という前提を、一時的に脇に置いてみる
- ☐ 感情が動いた場面を後から言語化してみる(「なぜ動揺したか」「何を見せられたか」)
- ☐ 同じ体験をした人と話すと、気づきの言語化が深まりやすい
- ☐ 「変えなければ」ではなく「知った」と受け取る——それだけで選び方の幅が広がる
| 場面 | 私が感じた動揺 | 後から気づいたこと |
|---|---|---|
| カースト・ペンを拾う担当 | 「非効率では?」という違和感 | 効率は「ひとつの物差し」にすぎなかった |
| 空港のペーパータオル配り | 「自分ならふてくされる」という自覚 | 誇りは「格」ではなく「向き合い方」にある |
| 瞑想修行20年の日本人 | 「自分の15年は正しかったか」という揺れ | どちらも「ある」——が自分の輪郭を広げた |
「豊かさの基準」をめぐる問いへの答え
日常の仕事で「別の価値基準」を意識しながら動けていますか?
完全にはできていません。日本の日常に戻ると、数字を追う自分も普通に顔を出します。それでも、少しずつ変わってきたことがあります。以前は打ち合わせの予定が入ると、会議の数や密度をどう増やすかで頭がいっぱいでした。今は「この時間を入れると、翌日の判断力が落ちるか」を先に確認するようになっています。小さな変化ですが、時間の使い方を「量」ではなく「質」で考える場面が出てきました。まだシフトの途中であることは変わりません。それでも知っているだけで、選べる幅が変わるということを、少しずつ実感しているところです。
結局「どちらの生き方が正しいか」という結論は出ましたか?
出していません。優劣を決める旅ではなく、別の価値基準があると知ったこと自体が収穫だったと感じています。日本の日常に戻れば効率や数字を追う自分も顔を出しますが、「別の物差しを知っている」だけで、選び方の幅が変わってきました。
まとめ——別の価値基準があると知っただけで、自分が広がった
カーストの話、ペーパータオルを配る女性、20年超滞在の日本人。3つの場面に共通していたのは、私の価値観の外側に「別の物差し」があったということでした。どちらが優れているかを決める旅ではなく、別の基準があると知る旅だったのだと、振り返って思います。まだ途中の身ではありますが、選び方の幅が広がっただけで、自分の輪郭が少し緩んだ気がしています。
年収や肩書きで自分を測ることに少し疲れを感じ始めているなら、旅でなくても、普段と違う場所で違う立場の人の話を聞くことが、最初の入り口になるかもしれません。

不動寿人
もし今、判断に迷う場面が増えていると感じているなら、全く別の業界や立場の人と話す機会を一つ作ってみてください。自分とは違う価値軸を持つ人との会話が、自分では気づけなかった選択肢を見せてくれることがあります。私の場合は、インドがその場でした。場所は違っても、「別の前提がある」と知るだけで、判断の手前が少し楽になります。
✅ まとめポイント
- カーストの背景には、仕事の役割を尊重する別の価値基準があった
- ペーパータオルを配る女性の笑顔から、仕事への誇りは「格」ではなく「向き合い方」で生まれると感じた
- 瞑想宿泊施設で20年超滞在の方は、優しく幸せそうな表情だった
- 「どちらが優れているかではない」別の価値基準を知ること自体が、自分の輪郭を広げた
- 帰国後の変化:時間の使い方を「量」より「質」で考える場面が出てきた
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※インドの社会・文化情報は、外務省の海外安全ホームページ等でご確認ください。カーストに関する法的背景は各国・機関の公式情報をご参照ください。


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